★三國志ネタ★
★PSP版「三國志7」プレイ日記★
  やたら長い「三國志7」プレイ日記   (2011/5/16)


↓文章が長くなりすぎたので直接「更新履歴」に書いていた代物


説明書を見ずに、とりあえずやってみたシリーズ(?)
とにかく最初は関羽でプレイするというポリシーのもと、関羽でプレイしてみた(時代は選べる)
詳しく説明すると長いので、サクっとダイジェストでどうぞ!
だいたい2時間くらいやって、こんな感じ(※義兄弟でイチャイチャしていて無駄に時間を消費)

「三國志」シリーズは作品ごとにシステムがかなり違うので、管理人もよく分かってません
しかし大体スタート時に「桃園の誓い」イベントが入るだろうと思い、「黄巾の乱」の時代から開始


184年、関羽でプレイ開始(in薊)

もちろん劉備・張飛も同じ場所にいるので、しばらくイチャイチャして過ごす(余裕で数週間経過)
訪問したり、手紙を送ったり、金を貢いだり…色々してみるが、一向に「桃園の誓い」イベントが発生しない
というかすでに義兄弟の関係(親愛もMAX)になっちゃってるから、イベント発生しないんじゃね?と気付く



劉備「関羽から手紙が来ただと?どれどれ」
   「ふむふむ」
   「出来るものなら同じ旗の下で戦いたいものだな」

 【劉備殿から返書が届きました】 ※親愛が高いと返事が来ることがある

劉備「こちらも元気でやってる」
   「折を見て、ゆっくり話し合うとしよう」

つーか同じ場所にいるのに手紙でやりとりしなくてもw
ちなみに手紙だけでなく、金を貢いだりもしていたw



関羽「金は多くあっても困るまい、納めてくれ」

劉備「おお、これはありがたい、お心遣い痛み入る」





劉備「聞いた話によると、薊にはまだ逸材が埋もれているらしいぞ」

 【薊に簡雍という者を発見しました】

関羽「おぬしが簡雍殿か?」

簡雍「たしかに私が簡雍だが、そう言う貴殿は?」

関羽「お初にお目にかかる。わしは関羽、字を雲長と申す」

簡雍「おお、私は簡雍。字を憲和と申す者。以後お見知りおきくだされ」


兄者が「薊に逸材が埋れている」とか言ってたので探索してみたら、何故か簡雍を発見(初対面)
簡雍にヒゲがなくてビックリ(「三國志11」の簡雍はヒゲキャラだったので)
簡雍…最初から劉備軍にいるんじゃないのか…

コマンド少ないから、サクサク進むなぁvとても楽vとか思ってたが、各地で戦争が起きてるのに、一向に戦争の準備をしないので、
「あれ?兄者は何か行動しないのかな?」と疑問に思いつつ、日々を過ごす(兄弟や簡雍とイチャイチャしつつ)
人材探して南皮に行ったら、兄者も南皮に来たらしく面会を求めてきた
面会に応じたら「関羽と酒でも酌み交わそうと思い寄らせてもらった」とのこと…わざわざ酒飲むために南皮まで追いかけてきたのかw



ようやく自分が「在野武将」だと気付く(遅!)しかも三兄弟全員「在野」であり、劉備が「主君」ではないらしい
何かおかしいと思ったら、まだ「劉備軍」すら結成されてなかったのね…でも「劉備軍」は存在してないが、三人は義兄弟の関係らしい…
ってことは何だろう?名義上は「義勇軍」ってこと?関羽と劉備の立場も、同じ「在野」同士で微妙に「対等」ってことか?
まだ「主従」の関係ではなく、「義兄弟」というだけの関係ってのも萌えます(親愛は常にMAXな三兄弟)


兄者に話しかけたら「そろそろ仕える主君を探しあてる時かもしれないな」と言われる
いや、だからこちら(関羽)が仕えたい主君は、貴方(劉備)なんですけど!!
劉備さんが旗揚げするのはまだか…!!(現在の三兄弟の状況→フリーター)

これは演義通りに進めれば「旗揚げイベント」とかあるのか…?(※あくまで勝手な予想でプレイしております)
という訳で魯粛…ではなく、何進配下の盧植先生のところに行ってみた
しばらく領土内でウロウロしてたら、盧植先生に「我が主君・何進の配下にならない?」と誘われる
だが「今の自由な暮らしが気に入っていてな、諦めていただこう」とバッサリ断わる




盧植「我が主君・何進は、おぬしの才能を高く評価している」
  「その手腕を我が主君に貸してはもらえぬか」

 【何進から登用の誘いを受けています。登用を受けますか?】

関羽「今の自由な暮らしが気に入っていてな。あきらめていただこう」

盧植「残念だが、仕方あるまい。今回は引きさがろう」
  「お心が変わったら、我が陣営を訪ねてきてくだされ」

盧植先生からの登用を蹴ったあとで、兄者に会いに行ったら桃園に誘われたので、
「おぉ!?ついにイベント発生か!?でも張飛も連れていかなくていいのか!?」と焦ったが…単に二人きりで桃園に行っただけで、桃園で誓わず(桃園イベントないのか?)
冷静に考えたらゲーム時間で、すでに秋だった…それじゃ桃の花も咲いてないだろうに、何しに桃園まで行ったのか…(謎)
関羽が何進の配下になりかけたので、兄者も焦ったのかなw
「実は何進の配下にならないかって誘われてんだけどさ」「へ〜…なに?何進の配下になんの?」「いや、まだ決めてない」「あっそ…俺も就職先どうしよっかなぁ…」という人生相談でもしてたのかな?



関羽「ちょうどこれから狩りにでも行こうと思っていたところだ。おぬしも一緒にいかがか?」

張飛「ちょうどおれも兄貴を誘うつもりだった。早速、出かけるとしよう」

張飛「馬騰殿の息子の馬超はなかなか優秀だな」

関羽「おお、さようか。それはうらやましいな」

馬超を褒める張飛と、まだ関平がいないので羨ましがる関羽w
しばらくは義弟と狩りに行ったり、義兄と桃園に行ったり、民の以来で賊を退治したり、魅力のご指南して貰ったり…意外とエンジョイ・マイライフ状態
途中で北斗と南斗が出てきて、名声ポイントが高い人をランク付けしていた(名士十選)
それによると張角よりも何進のほうが名声ポイントが高いらしい



 【名士十選】

南斗「北斗よ、今、外界ではこの者たちが名声を集めておるらしい」

北斗「ほほう、どれどれ」

南斗「今、名声を集めておるのは何進か……」

北斗「うむ、今や何進の名を知らぬ者はおるまい」

南斗「だが、張角も今ではその名を全土に轟かせるようになった」

北斗「さよう、今、最も人々に注目を集めておるのは張角やもしれぬ」

南斗「さてと、ではこの辺で切り上げるか」

北斗「うむ、ゆっくりとこの先を見届けるとするか……」




関羽「わしは関羽と申す者。突然訪問した無礼をお許しくだされ」

呂布「おお、貴公が関羽殿か」

関羽「呂布殿、これよりはよろしく見知りおきくだされ」

しかしまったく劉備さんが旗揚げしてくれないので、配下になることも出来ず、ヒマなのでちょっと呂布に会いに行ってみた
色々と情報を教えてくれたりと、呂布が意外とイイ奴でビックリした
「先方が会いたいと言うなら門を閉ざすこともないかな」とか「ちょうど陳留の情報を入手したところだ、貴公にも教えよう」とか、わりと好意的
とか思ってたら「さすがに音に聞こえた猛将……戦場で会うのが楽しみだな」と実は好戦的だった
しかし親愛はまだ低いのに返書が来て、「互いのことをよく知るためにも出来れば直接会って話し合ってみたいものだな」と言われたが、「話し合い」というか「殴り合い」の間違いでは…?

その間になんと張角が亡くなって、まったく活躍しないまま「黄巾の乱」が終息(義勇軍は一体…)
186年頃、丁原に配下にならないかと誘われる(引く手あまた)
そして相変わらず劉備さんがフリーターのままでプラプラしたまま(たまに酒飲むために義弟に会いに来るけど)まったく旗揚げする気もないらしいので非常に困る…

これはもう自分で旗揚げしちやうしかないんじゃね!!?(関羽の決意)

関羽が旗揚げすれば劉備・張飛もくっついて来るだろうし、何とかうまいこと劉備さんが君主になったりしないかな?
旗揚げ後に「では兄者が君主で…」という展開になるかな〜という僅かな期待を込めて、空白都市(南皮)で新勢力を興した関羽……と張飛と劉備(芋づる式)




関羽「これよりこの関羽が南皮を治める、志のある者は我に従え!」

劉備「関羽様のもとでなら、それがしの願いが叶いそうです」

張飛「兄貴のお招きなら、どこからでも喜んで参上するつもりでした」

 【関羽が南皮で旗揚げしました】


いやいやいやいや!!!お か し い !!!!
ちょ!おい、兄者!!「関羽様」って…え゛ぇぇええ!!!!??関羽が君主決定ですか!!!?(うっかり関羽軍誕生の瞬間)
「兄者の願い」って…うん、まぁ、関羽が君主でも「民を救い、漢王朝を助ける」的な願いは叶うかもしれんが…

そ れ で い い の か !!!?(当然の戸惑い)

「劉備軍」じゃなくて「関羽軍」でいいのか!!?
劉備が関羽の配下でいいのか!?義兄弟の関係はそのままで、主従関係が逆転しちゃってるけど!!?

おかげで劉備さんの話し方が敬語になってる――!!!!
しかも「我が君」とか言い始めた――!!でも微妙にタメ口だったりもする――!!!!(たまに敬語、たまにタメ口、たまに「我が君」)
つーか「在野」から「君主」になった途端、コマンドが増えた!!




劉備「関羽、よく来ましたな さぁ、中へ」
   「ちょうど建安の情報を入手したところです、我が君にも教えましょう」

 【劉備殿が面会を求めております】

関羽「兄者、よく来たな さぁ、中へ」
劉備「関羽と酒でも酌み交わそうと思い、寄らせてもらいました」

義弟を呼び捨てなのに敬語という、ややこしい関係にwww
関羽を「我が君」と呼ぶ兄者…これはこれで萌え、なのかな?
関羽が主君になった途端、義兄弟の関係がややこしくなったな…
この場合は「主君」のほうが上なのか?「義兄」のほうが上なのか?(立場的に)




戸惑っている間に、即行で何進に攻め込まれる
アタフタしつつ、迎え討つ関羽軍…何故か参軍には兄者(不安いっぱい)

関羽「今回の南皮守備の戦いは、それがし自ら総指揮を執る」
   「また、参軍として兄者が同行する」
   「では、兄者 今回の戦いの状況を説明してくれ」

劉備「はっ、では我が軍の状況から説明いたします」
   「我らには援軍はありません、我が軍だけで敵を打ち破らねばなりません」

関羽「この戦いではどう戦うべきか、兄者の意見を聞かせてもらおう」

劉備「はっ、それではそれがしの計画を申し上げます」
   「一か八かの賭けですが、奇襲を行っては如何かと存じます」
   「そこで、交戦地点になると思われる辺りに罠を仕掛けてみました」
   「また、勝機を作るのに有効と思われる策を選んでみました」
   「如何でしょうか?総大将の御裁可を仰ぎたく存じます」

関羽「兄者の計画は、わしの思うところと一致している」
   「今回の作戦は奇襲を採用する、各員の健闘を祈る!」

防衛戦で「奇襲」って…そもそも兄者の策を用いて大丈夫なのか非常に不安だが、この際だから兄者を信じて奇襲することにした(※提案は拒否も出来る)
もう兄者と関羽の上下関係もゴッチャゴチャだが、とにかく防衛戦開始!!


潘鳳「この程度の奇襲にやられる我らではないわ!」

 【奇襲が見破られました!関羽軍は大混乱です】

関羽「奇襲は失敗だ!各部隊独自に転身の上、何進軍を食い止めよ!」

 【関羽は混乱しています】

関羽「くっ、このわしが敵の捕虜になるとは……無念だ」

 【関羽は馬岱に捕らえられました】

潘鳳「やったぞ!君主・関羽を捕らえたぞ!」



案の定、奇襲を見破られて関羽軍大混乱www
関羽はすぐに混乱が収まったが、劉備さんが混乱しっぱなしw
戦闘のシステムがよく分からないまま、全員捕縛される




 【張飛は何進の配下になりました】

 【劉備は何進に解放されました】

何進「関羽殿、わしに仕えるというのなら命だけは助けよう」

 【何進の登用の申し出を受けますか?】

関羽「こうなっては是非もなし、何進殿の力になろう」

 【関羽は何進の配下になりました】

ちょっとwなぜ劉備さんだけ解放されたwww
非常に不本意だが、ここでゲームオーバーになっても困るので、泣く泣く何進に仕えることに…
186年9月のことです(何進配下になりました)




劉備「ちょうどこれから桃園まで出かけようかと思っていたところだ」
   「よければ関羽も一緒に行ってみないか?」

解放された兄者は一体何してるんだろうな〜と思い、すぐに会いに行ったら、また桃園に誘われたwww(2回目)
どうやら何かあった時は桃園に行くらしいな…(のび太くんにとっての「学校の裏山」みたいなポジション)
秋の桃園で「やっぱりお前も何進の配下になったんだな」「うん…お前はこれからどうすんだ?」「さぁ、まだ決めてない」的な人生相談が…(あくまで予想)
本当は兄者の配下になりたいんだけど…うまくいかないなぁ…

かくして何進配下となった関羽の運命は!?
やたら長くなったので、以下次号!!