★三國志ネタ★
★特別武将&エディット★
「いにしえ武将×エディット」を考えたら萌えたって話(刎頚の交わり) (2013/6/18)
「いにしえ武将」に「藺相如」がいるのに、肝心の刎頚の友・廉頗がいなかった件
あまりにも悔しかったので、これはもうエディットで作って交わるしかねぇなッ!!ということで廉頗を作ってみた
藺相如と廉頗については5月27日の「更新履歴」参照
どうでもいいがキャラを作るためにエディットの顔グラを見てると、
うっかり桃園三姉妹ネタも考えたくなってくるw(同じくエディットネタ)
【廉頗】
※あくまでエディット
歴戦の名将らしく、真面目で実直な武人(というか天然)
「藺相如なんか、ぶん殴ってやる!」とか「逆立ちで町内一周させてやる!」とか「鼻でスパゲッティを食べさせる!」って騒いでたのに、
急に「鞭で打って下さい」って何ぞwかなりのツンデレで、ドMかもしれない疑惑w
散々悪態をついてたのに、好きになったら一直線の純情野郎です
誰かが藺相如の悪口を言ってたら容赦なく叩きのめしますよ!
今ではすっかり藺相如になついてる年上ワンコ武将(でっかい忠犬)
人目も気にせず藺相如とイチャつこうとして、照れた藺相如に怒られてたらいい(廉頗は無自覚)
そして「怒ってるなら鞭で叩いていいぞ!」とか大声で言い出して、周囲をザワザワさせてたらいい(そしてさらに藺相如を怒らせる)
周囲からは完全に「二人はそういう関係なのか…」と認識されてたらいいw
【藺相如】
※いにしえ武将
戦国時代末期、趙国の恵文王の家臣
藺相如も当初は廉頗を好きじゃなかったが、廉頗が急激なデレ期に突入したため、すっかりほだされた
一応、建前で「首を刎ねられてもいい」とは言ったが、段々と本気になってる自分に内心苦笑してたらいいw
廉頗がツンデレなら、藺相如はクーデレか?
藺相如は普段は冷静沈着な理論派なのに、廉頗のこととなるとちょっとおかしくなります
怖いもの知らずで秦の王様にも物怖じしないのに、ド天然な廉頗にはペースを乱されまくりw
自分よりも歳上なのに子供みたいに素直で単純な廉頗が可愛くて仕方ないらしい
最近では藺相如もすっかりデレ期に突入してますw
もちろん藺相如は元祖「完璧主義者」だが、実は怒らせると廉頗よりも怖い
冠を突き上げる程に髪を逆立ててマジギレされます(怒髪衝冠、怒髪天を衝く)
だが藺相如の名誉のためにも言っておくが、まだ一度も鞭は使ってない←
でも周囲の噂をいちいち否定するのも面倒なので、そのままにしてるせいで今では趙王公認の仲になりました←
おかげでたまに恵文王から「ほどほどにしておけよw」とか言われる
馬超のご先祖様 (2013/6/19)
昨日の藺相如と廉頗のネタを考えてて、藺相如は怒髪の人だから、もし浮気なんかしたら超怖いだろうなーと…
マジギレして「怒髪+鞭」は最強すぎるだろうwww(怒らせたら天下一)
でも廉頗は真面目だし藺相如にゾッコンLOVEなので、浮気の心配はないがw
藺相如が変に勘繰り過ぎて、うっかり勘違いコントみたいになったらいいなw
しかし「藺相如vs廉頗」の戦い(※単なる痴話喧嘩)になったら、秦国に攻められる…!!(痴話喧嘩一つで国が滅ぶ)
そんなカップリングネタの流れで申し訳ないが、廉頗・藺相如を参加させるなら、やはり趙奢も必要かなと!
趙奢は馬超たちのご先祖様だし!馬超と親愛関係があるといいv
ご先祖様なので、顔グラは馬超のイメージが影響しちゃってるなw
だが趙奢は息子の件もあるので、馬謖と嫌悪関係になりそうだな…(生兵法の例)
そうなると息子の趙括も作るべきか…?(いにしえ武将に白起もいるし)
でも趙括を参加させても能力は低そうだけどw(禁句)
もちろん趙括は、廉頗や藺相如とも嫌悪関係だろうな…いにしえ武将の藺相如も馬謖が嫌いだからな…
あとはエディットで趙の恵文王や平原君(恵文王の弟)も必要か?(そうなるとキリがない)
【趙奢/ちょうしゃ】
戦国時代、趙の名将。廉頗・藺相如と共に趙の恵文王に仕えて、秦の軍勢を撃退し「馬服君」に封ぜられた。
後漢の成祖・光武帝に仕えた将軍・馬援や、蜀漢の馬超などの馬氏は趙奢の末裔であり、
その称号である「馬服君」の「馬」をとって氏としたと言われる。
趙奢は元は「田部の吏(田地の徴税官)」であった。
ある時、税金を払わなかった平原君(趙王・恵文王の弟)の家の者を厳しく咎め、訴訟を行って9人を死罪に処した。
激怒した平原君は趙奢を殺そうとしたが、趙奢が理路整然と反論した事で逆に平原君に認められ、
恵文王に推挙され、趙の国税の管理を任されることになった。
趙奢は公平に税をかけた為、趙の国民は豊かになり、国庫は充実し、結果趙の国力は増強した。
趙奢は将軍としても戦功を上げ、武人としても着目されるようになる。
敵国・秦が侵攻した際、廉頗と楽乗は救援は不可としたが、
趙奢は「道は険しくて狭いので、丁度二匹のネズミが穴の中で1対1で戦うようなものです。将が勇敢な方が勝ちます」と説き、
恵文王はその意見を容れて、趙奢を将軍に任じて救援に向かわせた。
趙奢は秦軍の間諜をもてなして帰すなどして、秦軍の油断を誘い、
それを見計らった所で救援へと向かい、秦軍に対して一気に攻撃をかけて秦軍を敗退に追い込んだ。
恵文王からその戦功を大いに称えられ、廉頗や藺相如と同じ地位に昇格し「馬服君」に封じられる。
強国・秦はこの三人が健在の間は、趙に攻め込む事が出来なかった。
趙奢の子・趙括 (2013/6/20)
【趙括/ちょうかつ】
戦国時代、趙の武将。名将といわれた趙奢の子だが、長平の戦いで秦の白起将軍に敗れ、戦死した。
趙奢の子・趙括は、幼少の頃より兵法を学び、父を論破するほど兵法に通じていたが、
趙奢は趙括を評価せず「あれの兵法は口先だけのものだ。趙括が将軍になれば趙を滅ぼす」とまで言い切り、
妻に対しても決して将として用いさせないように、と遺言して亡くなった。
だが趙括自身は「名将の息子」という名声のもとに兵法の大家を自認し、軍事にかけては自分の右に出る者はいない、と自惚れていた。
また父と違い「下賜品は全て仕舞い込み他人には渡さず、日々値上がりしそうな物件ばかり見繕っている」という吝嗇な一面もあり、
母親からも「大将としての度量に欠け、他人からの信頼を得られない」と危惧されていた。
後年、長平の戦いにおいて趙軍は当初、名将・廉頗の指揮でよく防戦していた。
このため敵国・秦では一計を案じ、「秦軍は老人の廉頗よりも、兵法の名家たる趙括が指揮を執ることを恐れている」という流言を広めると、
趙の孝成王(恵文王の子)はこれを信じて、老将・廉頗から若い趙括へ総大将を交代させてしまう。
これを知った趙の重臣・藺相如は死期の迫った病の身を厭わず参内し、
「趙括は兵法書を丸暗記しているだけの未熟者であり、戦場での臨機応変を理解していません」と諌めた。
さらに趙括の母までもが亡夫の遺言をもとに、趙括の将軍起用を取り下げるように王へ直訴したが容れられなかった。
代わりに「どんな結果でも一族などに罪を及ばせぬように」との趙括の母の願いだけは孝成王も認めている。
机上の兵法家でしかなかった趙括は前線に到着すると、前任者・廉頗の持久戦法から一転、秦軍に対し攻勢を仕掛けたが、
歴戦の勇将である秦の白起将軍の囮作戦にかかり、糧道を断たれた趙軍40万は飢えに瀕し、味方同士で人肉を奪い合う窮状に陥った。
状況を打破すべく僅かに残った健常な兵による秦軍への突撃を敢行するも、総大将の趙括を矢で射殺されて失ったため、趙軍は降伏し捕虜となった。
しかし40万人もの投降兵を養うだけの食料は秦軍にも無かったため、
白起の判断によって、少年兵240人をのぞき、投降した趙兵をすべて生き埋めにした。
兵40万を坑殺されると趙は一気にその勢力を失い、その滅亡を早めることになる。