★三國志ネタ★
★特別武将&エディット★
  襄公・先軫   (2013/6/10)


しかし他の春秋サイト様が、みんな美形に描いてるというのに…うちはヒゲキャラばっかりw
まぁ管理人はヒゲ萌え派なので…三國志の顔グラはヒゲ率が高くて有難い(安定の顔グラ)
コーエーがヒゲキャラを推してくるから、俺はそれに萌えるしか無い(何)

  【 襄公 】

春秋五覇の一人に挙げられる文公(重耳)の子。詳しくは先軫の欄参照。


  【 先軫 】

先軫は狄の狐氏によって匿われている重耳の元に訪れて仕官した。
その際、その優れた武勇が狐偃の目に留まって次第に重く用いられるようになった。
亡命する重耳に従った者は僅かであったが、先軫はその一行の中で最も若かった。

重耳が即位し善政を行うと、周王室から救援要請が届き、文公はこれに応える形で出陣した。
王室の内乱を鎮定し、「覇者」の称号を得た文公のもとに諸侯は我先にと馳せ参じ、
やがて晋の急速な成長に危険を感じた超大国・楚と激突することとなった(城濮の戦い)

このとき中軍の将が陣中で急死したので、新たに先軫が抜擢された。
先軫は見事な計略を立てて楚を孤立させ、戦いを有利に持ち込むことに成功した。

狐偃が死ぬと、先軫は正卿(宰相)に抜擢され、国政を担った。
文公の子・襄公が即位すると、隣国・秦が晋に攻め入ってきたので、果敢な襄公は白い喪服を墨で黒く染めて出陣し、これを打ち破った。
喪服を染めた理由は、父(文公)の喪中で喪服を脱ぐわけには行かないが、白い喪服のまま出陣するのは不吉であると思って黒く染めたものと思われる。

その戦いの際、三人の敵将を捕虜としたが、襄公は母の諫言に従って三将軍を逃がしてしまったので、先軫は大いに怒り、主君である襄公を面と向かって罵倒した。
襄公は先軫の言い分の正しさを認めて罰しなかったが、先軫は内心これを悔やみ、
後年、狄との戦いで晋軍が劣勢に追い込まれたとき、冑を脱いで敵陣に突撃して戦死した。






  介子推・魏シュウ   (2013/6/11)


  【 介子推 】

介子推の詳しい説明は、先日のネタ参照

重耳に付き従った臣下は猛者揃いですなv
宮城谷設定だと「棒術の達人」なので、こんな感じかなーと…
若い頃に山で虎と戦ったり、色々とありましたよ!(詳しくは宮城谷「介子推」参照)
もはや「悟りの境地」に入っちゃってる感じです

でも放浪中は重耳に自分の太腿の肉を食べさせたらしいが…筋肉質過ぎて肉も硬そうですけどね(そういう問題か?)
せめて劉備さんくらい肉がプニプニ余ってればいいけど…


  【 魏シュウ 】

晋の武公・献公に仕えた畢万の孫。氏は「魏」、諱は「シュウ」。諡は「武」。「畢シュウ」「魏武子」とも呼ばれる。
若い頃から友人の顛頡と共に重耳に仕え、後に重耳が亡命・流浪の旅に出た際も、常に護衛として重耳を守り続けた。

重耳が晋公の座に就くと、魏シュウも魏氏の当主となり、三軍が創設されると文公の車右として引き続き文公を守り続けた。

しかし文公が曹を攻略した時、放浪中に世話になった家は焼いてはならないとの命に背き、友人・顛頡と共に家を焼いてしまい、その際に負傷する。
顛頡は死刑に処され、魏シュウも重態なら同じく処刑される所だったが、彼は元気な所を見せて車右を免ぜられるだけで済んだ。

魏シュウには、魏リ・魏顆・魏絳の三人の息子があり、その内の魏絳の系統が「魏氏」の系譜を継ぎ、
やがて魏氏は強大になっていき、ついには晋から魏王国を独立させ、後の戦国七雄の魏へと続いていく。






  エディット晋の方々をまとめるとこうなる   (2013/6/14)


晋国というか重耳の部下に気合いが入りすぎてキャラ多くなったなw
いつも通りヒゲ率が高いw(ヒゲ萌えです)

普通に重耳と部下絡みのカップリングもいいが、別に兄弟間のカプも有りだなと思い始めた←
「申生×重耳」とか「夷吾×重耳」とか、どうですか?(待て)
個人的に重耳は「受け」だと思ってますが何か?(常に受身の姿勢)
もちろん公式での「曹公×重耳」も萌えますv常に色んな人に狙われちゃう&襲われちゃう重耳が素敵w

密かに趙盾時代のキャラも追加しちゃおうかと…(待て)
そこまでいくとキリが無くなって来るなw

  【 申生 】

   【 重耳 】

   【 夷吾 】

  【 奚斉 】


  【 狐毛 】     【 狐偃 】     【 趙衰 】

  【 先軫 】     【 介子推 】     【 魏シュウ 】


  【 狐突 】 狐毛・狐偃の父

  【 趙盾 】 趙衰の子

  【 襄公 】 重耳の子