★三國志ネタ★
★特別武将&エディット★
  晋の公子たち   (2013/6/7)

「三國志の特別武将に重耳は登場しないのかよ!!」と残念で仕方なかったので(宮城谷ファンとして)
「登場しないなら、いっそ自分で作ってしまえ」ってことで、エディットで勝手に作ってみました(※三國志11)
こうなってくると趙盾や士会も必要になってくるなー…(どこまでやる気だ?)


  【 申生 】

太子であったが、父の寵姫・驪姫の陰謀により父親毒殺未遂の汚名を着せられると、真面目で父親思いの申生は自刃した
とにかく真面目で優等生な長男というイメージ


   【 重耳 】 晋の文公

晋の献公と、狄族の娘との間に生まれた(申生や夷吾とは母親が違う)
若い頃より人材を好み、17の時に趙衰・狐偃ら猛者を傍に抱えていた

兄・申生が自刃させられると、危険を察した重耳は国外逃亡を図り、母の出身地である白狄への亡命(この時、重耳は43歳)
その後19年間も諸国を放浪したのち、秦の穆公の協力を得て、晋に帰国して君主となって天下の覇権を握る
「斉の桓公」と並んで「晋の文公」と称され、「春秋五覇」の代表格とされる

一応「三國志11」っぽく、若い頃と壮年の顔グラを2枚探してみた
重耳は若い頃から、とにかくガタイが良かったらしいが(そして一枚あばら)
もう10歳くらいから大人並みの体格じゃないかと予想(がっしり体型)
17歳の頃には180〜190センチぐらいかな?
壮年顔グラはこれでも五十歳前後ですよ(放浪中)
顎髭はあるのに口髭がないのは家風ですかね?

顔も若いし、放浪中は体脂肪の少ない筋肉質な良い身体をしてるおかげで、まんまと曹王に狙われるハメにw
あれって絶対「あばら」目的じゃなくて、別目的ですよね?(何)

俺も重耳の入浴シーンだったら覗くわ(自重しろ)
むしろ覗くだけではおさまらないわ(何)


   【 夷吾 】 晋の恵公

兄・申生の死後は、重耳とともに次期君主の候補の一人であったが、驪姫によって献公暗殺の疑いをかけられ、梁国に亡命した
数年後、驪姫らが内乱により誅殺され、晋は重耳を新しい君主として迎え入れようと使者を出したが、重耳は殺されることを恐れて断った
次いで要請された弟・夷吾はこれを受け入れて帰国し、晋公の座に迎えられ「恵公」となる
君主となった夷吾(恵公)は人気の高い重耳の帰国を恐れて刺客を放ち、自分に従わなかったりした者を厳しく弾圧した


  【 奚斉 】

献公(重耳たちの父)の寵姫・驪姫は、まだ幼い自らの息子・奚斉を跡継ぎにしようと次々と献公の子供たちを排除していく
後に内乱により驪姫や奚斉、その後を継いだ悼子が相次いで殺害されると、夷吾が秦の穆公の後援を得て帰国し、晋の君主・恵公となった。

もう別に奚斉まで顔グラ要らん気もするがwせっかく赤ん坊の顔グラがあったのでw






  狐突・狐毛・狐偃   (2013/6/8)


  【 狐突 】 (父)

狐偃たちの父、狄の出身だが、晋の武公(重耳の祖父)に仕えていた。
献公(重耳の父)の代になると、献公の公子の中から、生母が同じ狄の出身である重耳に覇者たる器があると目をつけ、
自分の息子である狐毛・狐偃兄弟を若き重耳に仕えさせた。


  【 狐毛 】 (兄)

狐偃の兄。弟と共に重耳(文公)に仕えて、19年間に及ぶ放浪に付き従った。
才気煥発な弟・狐偃に比べて、兄の狐毛は温厚な性格で、鋭すぎる弟を抑える役回りであったという。
狄の出身であったが、父・狐突によって弟とともに晋の公子・重耳に仕えさせられ、狐氏の兄弟は重耳の忠実な側近となった。

重耳が政変によって晋を追われると狄の狐氏の集落にかくまうが、狐氏の集落も重耳にとって安全といえなくなってきたため、
重耳は僅かな従者たちと共に放浪の旅に出ることになった。

長い放浪の果てに晋に帰国し重耳が文公となると、狐毛は弟・狐偃とともに取り立てられ、弟とともに晋の上軍を率いて楚軍を相手に善戦した。


  【 狐偃 】 (弟)

春秋時代、晋の重耳の部下。狐毛の弟。重耳が即位後、晋の宰相となる。
字は「子犯」。「舅犯(きゅうはん)」「咎犯」と呼ばれる。

やがて驪姫の乱によって晋が混乱すると、盛名の高い重耳を君主にいただこうという声が高まったが、
狐偃は「君主(奚斉)を殺した家臣たちの手に招かれて、君主の座につくのは不吉です」と言って重耳を押しとどめた。
重耳はこれを聞き入れて、以降19年に渡って国外を放浪することになる。

放浪していた頃、重耳一行は飢えて土地の農民に食物を乞うたが、農民は土を差し出した。
重耳は怒ったが、狐偃は「民が土を献じたのです。公子はのちに必ずこの地を手に入れるでしょう」と言って喜んだ(※「左伝」ではこの発言を狐偃としている)

やがて辿り着いた斉国で重耳一行は手厚くもてなされ、大臣として斉を助けてくれるように頼まれたので重耳は大いに喜んだが、
狐偃は「わたしたちは覇者の家臣になるために公子についてきたのであって、斉の陪臣になりにきたのではない」と言って、
重耳の妻や趙衰と諮って、酔った重耳を馬車に乗せて斉を強引に出国した。

目覚めた重耳は怒りがおさまらず「汝の肉を食ろうてやる」と言ったが、
狐偃は「もし公子が成功しなかったら私は飢えてのたれ死ぬでしょうから、その肉は食べられたものではないでしょう」と言って動じなかった。
重耳は家臣たちの意思の固さを知り、これ以後、自ら晋に帰国し覇者となるべく益々研鑽を積むようになった。
帰国した重耳は即位して文公となり、狐偃を宰相に据えて善政を行った。


顔グラを探してたら異民族っぽいのが、これしかなかったのでw
狄族は耳飾りが特徴なのかwまぁワイルドな感じでいいか…

基本的に重耳は「覇者」になろうという野望は一切なく、家族や臣下と一緒にのんびり暮らせたらいいなぁと思ってたのに、
グイグイ系の臣下・狐偃&趙衰のおかげで、いつの間にやら覇者としてまつりあげられた感じ

「野望」だけなら狐偃が一番強そうです
ただし狐偃の場合は「自分が覇者になる」という野望じゃなくて、「自分が覇者の家臣になるために、自分の主君を覇者にする」という間接的な野望です
そう考えると狐偃の野望に命懸けで付き合わされる重耳も大変だが…まぁ、そんな主従関係も萌えるな(何)






  趙衰・趙盾   (2013/6/9)


  【 趙衰 】 (父)

氏は「趙」、諱は「衰」、字は「子余」。諡は「成」のため「趙成子」とも呼ばれる。
晋の大夫であった趙夙の弟で、献公の公子のうち占いで吉と出た重耳(後の文公)に仕えた。

重耳とともに狄での亡命生活中、叔隗(重耳の妾となった季隗の姉)を妻とした。
妻・叔隗は、後の趙の礎を築く趙盾を生んだ。

放浪中、重耳が楚の成王に招かれたとき、成王は重耳の器量を見込んで、自分と対等の者に対する礼をもってもてなした。
重耳は典礼にはよく通じていなかったが、趙衰が側に付き添い、細かく指導したので恥をかかなかった。
ようやく帰国した重耳は晋君として即位し、文公となった。

趙衰は文公の娘・趙姫を娶り、新たに趙同・趙括・趙嬰斉の三人の子を儲けた。
当然、位の高い趙姫が正妻となるはずであったが、趙姫自身の願いで、趙衰に長年付き添った叔隗が正妻、趙盾が嫡子となった。
子の趙盾はのちに晋の宰相となり、後年独立する趙の礎を築いた。


  【 趙盾 】 (息子)

重耳に付き従った趙衰の長子。のちの晋の宰相。

育ちが良いので礼儀作法にうるさい趙衰
重耳の部下たちは荒くれ者ばかりだが、その中でも唯一のセレブというイメージ

趙盾絡みでキャラを増やして行ったらキリがないなw